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詩のボクシング

2012.05.14(07:21)

パントマイム=無言という図式はない。
人は日々の生活で声を発せずひとり黙々としている時間のほうが多い。ずっとしゃべっているわけではない。
しゃべっていないけれど心のなか、頭のなかでは絶えず言葉が浮かんだり消えたりしている。
メールを読んだり、打ったり、無言だけれど頭の中ではしゃべっている。

私はパントマイムの作品をつくる時に「しゃべればいいじゃん」と言われる状況をつくらない。しゃべればいい時はしゃべればいい。
パントマイムの作品で携帯電話にでるシーンがでてくる。不自然にしゃべらない人の作品を見ると「ヘンだ」と思う。

パントマイムはそのカラダの中でしゃべっている状態の共通した経験を再現して作品ができている。
その再現を「模倣」と言い、
パントマイム=すべてを模倣する
という意味につながる。

さて、詩のボクシング!

詩を読むこと。声にだすということは、紙にかいてあるものを読んでもらう詩とは違う。
「聞いてもらいたい。」詩であるということ。
耳から心に届ける詩
、と同時に読み手(作者)がそこにいるという目、視覚も大切で、
パントマイムをはこの目、視覚の部分で聞いてもらうことになる。
パントマイム=動き、ではありません。
「静止」も動きのひとつで、止まっていてもカラダは語る。

心から生まれたものが頭の中で言葉になって、全身を通って声になる。
心から生まれたものを発する。

その生まれてくるものが誠意であり、愛であり、互いに深く認め合うことであってほしい。

この時代の同じ時間をより豊かに安心して共有したいから。